カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

オルゴールNo.3

高校1年の2月のバレンタインデーにおとうと会いましたが、その前に会ったのは、中学校1年のバレンタインデーでした。

当時、同じ中学だとか、共通する部活や友達がいたとかではありません。小学校の卒業式以来、顔を見ることもありませんでした。

私とおとうは、カッパや結夢が卒業した泉田小学校の卒業生です。
小学校5年の時に、この泉田小学校が新設校として開校し、お互い、小学校4年までは別の小学校でした。それぞれに、今までいた小学校から移ってきました。

私達は5、6年と同じクラスでした。

出来たばかりの学校やクラス、半数以上は知らない顔ぶれの中で慣れない学校生活が始まりました。私は、全然楽しくありません。

反面、妹はあっという間に友達ができ、クラスでも中心人物で楽しく過ごしていました。

それがすごく辛く、しんどい思いをしていました。
今でもその当時の進級写真を見ると、暗い表情をしていて苦しくなります。

子どもなりになんとかしようと思っていた時、体育の授業で、子ども時代のおとうは

「背が低いのに、足が速いんだなぁ」といいました。

それが自分の長所かな?と思い

それから一生懸命練習して、6年生の時にリレーの選手になります。

また、校門に入るとすぐに大きなたぶの木があるのですが、図工で、その木の水彩画を描いた時に「上手だね」と言いました。

ほめられたのは、初めてだったので「いい人だなぁ」
と思いました。
それがきっかけで、絵を描く事も頑張るようになります。すると成績もあがり自信もついて。友達にも恵まれるようになりました。

今でも感謝しています。
でも、今のおとうは「全く覚えてない」と言います。

私が子どもながらに、それが好きな人なのか?と気がつくのは6年の卒業時になります。
中学は離れるので寂しくなりました。

どうしてるかなぁという気持ちと、
中学の周りの友人はクラスの誰がいいとか先輩がカッコいいと、いう話に花が咲きました。

私は、周囲にはそんな人は誰もいませんでした。

まあ、バレンタインデーになれば、みんなが誰に渡すかで手作りチョコを作るために、今のAEON(当時はニチイ)に繰りだします。
一緒に行く私は誰もいないのに材料を買うのでした。

でも、それも空しいと思ったのか、やっぱり思い出してしまったのか、突然、おとうに会って気持ちを伝えようと思いました。

そして、前日に電話をかけ泉田小学校の、校門から少し離れた所で待ち合わせます。
当時のおとうが、えんじ色のスタジャンにロードレーサーに乗って登場しました。

私にとっては一世一代の大勝負なのですが、、。

私は手作りチョコレートを「はい、これ」みたいな事を言って渡し、
「ありがとう」といわれた後、何もいわずに自転車ですっ飛んで帰るのでした。

ドキドキするというより、これで役目は終わったようなスッキリ感がありました。

私達は中学2年の時に今のカッパが通う、泉田中学校が新設されて、おとうはそちらの中学校へ移ります。

私は、学区外だったのでそちらへ行くことはありませんでした。
これは本当に残念でした。

しかし、バレンタインデーがきっかけで中学2年から高校2年まで年賀状のやり取りや、お互い忘れた頃に手紙のやり取りをするようになります。

学校生活の事ばかりですが、自分とは知らない世界を知る事はとても楽しかったです。

私は、いい人だと思っているのですが、おとうからは、ホワイトデーに何かあるわけでもなく、手紙のやり取りだけなのでした。

だから、時が経つにつれて好きな人よりも友達の度合が強くなっていきました。

と、言うことで高校2年の再会から、いつごろ何がきっかけで好きになったのか、過去を遡ってみました。私は今は自分の都合の悪いことはすく忘れますが、この事はよく覚えています。

次は、高校2年のあの日から、再び出会う19歳のころへと続きます。

恥ずかしいですが、ここまで書いたので結末は最後まで書きますが、つまらない人はすっとばしてください😅

続く