カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

えーーっ!!😨

また、ニワトリにまつわる話です。多分、カッパが小学3年生の頃です。
カッパと、かんたが小学校の飼育小屋でニワトリのオスのゼット君に、おーい「コッコー」と何度も声かけしていました。とても楽しそうでした。

16時すぎてたのにランドセルを持って学校にいたのは、いつもなら、15時頃カッパを小学校まで迎えに行き家に帰ります。
ですが、もう思い出せませんが担任のY先生にカッパの日常の悩みを聞いてもらっていました。

確か、目が腫れるほど泣いて泣いて、男の先生じゃなかったから鼻もかみまくって、ハンカチで涙を吹くどころではなく、スポーツタオルでふくほどの泣き様でした。

その間、カッパと、かんたは支援学級のもう一人の男の先生と遊んでいただき待っていました。

先生に話したらおさまり、子どもには泣いた後の顔を見られてはまずいです。(-。-;)

Y先生と外に出て他愛もない話をして、目が腫れるのが引くまで先生は待ってくれていました。

その後、落ち着いたため家に帰ろうとしたら、カッパと、かんたは飼育小屋の前にいきました。
ニワトリに柔らかい大根の葉っぱの部分を食べさせようとしていました。

畑で取ったものなので、先生に断ったものだと思います。支援学級の先生二人と子どもと私で、「かわいいね~、葉っぱをあげたらお家に帰ろうね~」と子どもに話しかけていました。

カッパの葉っぱとかんたの葉っぱ🌿を多分一口ずつ食べた後でしょうか、


ゼットが「ヒッ」と突然止まって、フラフラと数歩歩いてフーッ倒れて眠ってしまいました。

Yせんせいが「えっ、死んじゃった?」と、言った通り、目の前で亡くなってしまったのでした。
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急いでみんなで昇降口に、中でもカッパは一番にすっ飛んでいきました。
カッパは職員室の前で「失礼します」と言った後、近くの先生に言いました。「コッコーー!」(飼育小屋の鍵を持って、ゼットの前に来てほしい)と、手招きをして「カチャン、カチャン」と鍵の事を伝えていました。
当時は若かった、現在は教務のK先生と飼育委員担当の先生と、小屋まで走って行きました。

「あー、死んじゃったねー。いやー、最近ゼットは弱っていてすごく長生きしていたから、もう寿命かなぁって他の先生と話をしていたところだったんだよ」と、いう事です。

みんなでシーンとした時間は忘れられません。泣いて頭が痛かった私は更に頭が痛くなりました。悩みを打ち明けた数時間前の事など吹き飛んでしまいました。

カッパと、かんたは呆然としていました。
死にそうでも、ニワトリは寒い小屋で過ごすしかないのかぁと思うとやるせないのと

そうでなくても、カッパのやる事なす事で沢山の先生に助けられていた、恐らく学校では有名人だったかもしれないカッパだったと思います。

申し訳ないのた同時に、「もう、これ以上目立ちたくない」と何故か思ってしまいました。

下に草を引いて段ボールに入れられたゼットを見て「人間だったら棺なのに、ゼットは段ボールなのか、、。」と思ったら、再びやるせなくなりました。

親子ですっ飛んで、自宅から毛布を持ってきて、ゼットの上にかけました。何だか先生に謝るしかなく三人で家へ帰りました。

その途中、生協で明日ゼットにあげる花を買いました。
翌日、学校に行くと飼育委員の子で泣いてしまっている姿を見てしまいました。

先生が買ってきた+カッパが自宅から持ってきた花も一緒にみんなで段ボールの中にいるゼットの傍においてあげたようです。またしても、責任を感じてしまいました。

その2日後、ゼットは永代供養もあるペットのお墓に埋葬されるところへ行きました。

当時の教務の先生が車で、ゼットを火葬するための場所に連れて行くときには、沢山の生徒さんが見送ったそうです。カッパもいました。

これだけでも「あーっ」と凹みます。

ですが、追い討ちをかけるように、翌日学校に行くと色画用紙三枚に渡って、亡くなったゼットの大きな写真と一緒に、「さようならゼット!ありがとう!!」と、飼育委員の子たちが作った、号外新聞のような貼り出しものがありました。
それは、昇降口のみんなが入った一番目立つところに張り出されていました。

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さらに、カッパは暫く毎日のようにY先生と共に飼育小屋に行きゼットの事で手を合わせてたそうです。
交流級で行う図工でも、絵を描けばゼットの絵。
粘土でもゼット。確か、電池で車輪を作り、輪ゴムを後ろに引っ張ると動く車も「ゼット号」作って描けば「ゼット、、。」と呟き手を合わせる。この「ゼット号」忘れられません
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暫く、ニワトリに出会うことも唐揚げ作ることも、鳥さん自体が嫌になってしまいました

Y先生がネットで調べたところ、ニワトリは葉っぱ🌿も好物という事もわかり、、「葉っぱ🌿を食べさせた事が死因ではないと思います。きっと」

と言われると「きっとじゃなく、喉に詰まらせたかもせれないし」と余計に辛くなるのでした。

暫くすると、もう一匹のメスのニワトリさんも後を追うように亡くなってしまいました😣😣

誰もいなくなった飼育小屋には、春になるとウサギがやってきました。

かっぱは5年と6年は自ら選んで飼育委員になりました。
憧れのK君と優しいN君にはフォローされ、最後までやり遂げいい経験となったはずです。

かんたは「自分のせいでゼットが死んでしまった」と、今でも忘れる事ができません。

カッパは覚えているのかな?

私にとってはまたしてもニワトリさんのトラウマが出来てしまうのでした。