カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

道の話

こんにちは☺️
今日は暖かな過ごしやすい日でした。
この辺の桜の開花予想は
3月22日頃らしいです。
あと1ヶ月もしないうちに🌸が
咲く季節になるんだなぁ~☺️🍀

こんな穏やかな天気+昨日は帰ってくるのが
遅く、、身体はのんびりしたいモードでした。

ゆっくり🐌💨💨blogを書こうと思います。

🐌☺️🍀🐌☺️🍀🐌☺️🍀🐌☺️🍀🐌☺️🍀🐌
いつも聞いているラジオコーナーのお題
を借りてきました、
今日は「道の話」です

カッパは現在、中学2年生ですが
今回はまず小学校時代に絞ってみます✨

私がカッパとの小学校生活の中で
一番頑張った事

学校の登下校です。


小学校の支援学級に通う場合、
登校時は保護者付き添いが必要でした。

なので、カッパの登校班の子達と一緒に
通っていました。

結夢小学3年生、カッパ1年生、
幹大3歳を連れながら、
警報以外の雨、風、雪の登校に付き添うのは
思ったよりもずっと大変でした。

カッパの家は小学校の学区の端にありました。
家から学校まで20分ちょっとです。
そんなに遠いわけではないですが、
近くもないです。

小学校前の幼稚園や通園施設は車やバスで
行きました。
でも、歩く事に慣れてない生活では
ありませんでした。
よく歩く子だったし、
入学前も学校へ歩いていく練習もしました。


入学式は順調にいきました。
翌朝の登校班と一緒の登校もスムーズに
行きました。

でも翌日からの下校が全くままならず
歩くのが嫌になってしまい
門の前で座り込んでしまうのです。

でも、うちに着き
遊びとなると下校に費やす体力以上に
動くのです。

だけど、私も意地になって車を使っての
登下校はしないと決めていました。

みんな歩いて通っているんだから
カッパも歩く事に関してハンデがないのなら
歩いて通うのが当然だと。
鬼みたいになっていました。

みんなと一緒に歩く事に慣れてないのか
それだけの集中力がないのか
疲れちゃうのか

それでもガンガン泣かれて、
帰るのに普通なら20分かかるところを
2時間かけてしまった事もありました😵

この座りこまれるのが辛くて
何を思ったのか「ベビーカー」を
持って学校へ行っていきました。
何でそんな事かんがえたんでしょうね

そして、歩いて帰る事にかけては
頑なに先生にも相談しようという
発想もありませんでした。

そんなでベビーカーを見るなりカッパは
乗り込んでしまいます。
それを見ていた先生にも
「ベビーカーで連れて帰るのは
いい加減やめてください」と言われて
しまうのでした。
本当そうですよね。

幹大もカッパもグダグダになって
通学路に座りこむものの、
幹大は比較的切り替えが早いです。

ただカッパは歩きたくないの一点ばりです。

本当に読んでいると嫌な気分にさせて
しまうかもしれませんが、、

これ以上、歩いて帰らせる事はできない
もう頑張れない。仕方ない。
と思いました。

余程、思い詰めていたんだなぁ

通学路に座り込んだカッパに待ってもらい、
私と幹大は家に自転車をとりに行きました。

しかし、再びカッパの元に行くと、
そこにカッパはいませんでした。

通学路とは違うルートで1人で帰っていました。
結局探しまくりやっと出会いました。

カッパと出会い、やれやれと思って
家に着くと学校から電話があり

1人で通学路に座っていたカッパを見て
心配した保護者の方から
学校へ連絡がありましたとの連絡がきました。

下校がとにかく大変でした。

みんなは普通にまっすぐ歩いて帰るのに
どうしてこんなに時間がかかるんだろう。

でも、中学生や高校生になったら、
就労するようになったら自立して
歩いて通わなくてはいけない

そこに親はいない
いつまでも一緒にいられない。
今、頑張らないと
車で通って楽な行き方を覚えたら
絶対歩いて通おうなんて思わなくなる

いま、頑張らないと
いま、頑張らないと

下校がとにかく大変でしたが
でも、いつも
いま、頑張らないとと思っていました。

カッパの登校のサポートにあたり
支援学級の先生が提案されて
とても辛かった一言がありました。

カッパを学校まで
ご主人に送ってもらうことはできませんか?
と、言われても出勤時間は6時半です。
何度も言っているのに、
何故か同じことを聞かれた事


近くに、両親が住んでいることも
知っていたので

おじいちゃん、おばあちゃんのサポートは
得られませんか?
おばあちゃん仕事の休みの時だけでも
幹大くんの預かりを頼めませんか?
と、聞かれた事

とてもじゃないけど、
父はアルコール依存症で、
そのために母は働きづめで、
休みの日は休まないと母も死んでしまうとは
言えず、、

近くに両親がいる=子育てのサポートが
受けられるとは限らないんです。
と言っても何度か聞かれた事

お母さん、帰りの下校もカッパに
付き添うとなると
幹大くんを見るのも大変だから

幹大くん保育園に預けませんか?
と聞かれた事
預けるにもお金がかかる事、
すでに私は働いていたのですが、
公立保育園には入ることができず、
民間の一時保育に預けながら仕事をしました、

父の事で働いても働いてもお金がないのに
また、これ以上保育費用にお金はかけられない

先生には本当の事情が話せず、
支援を受けた方がいいですよと
言われても、
そうですねとしか言えなかった事


先生は何も悪くないのですが
いまの先生には言えることが
あの頃はまだ自分も未熟なのか
言い表せないことが沢山ありました。

なんで大変さを伝えられなかったのか?
アルコール依存症を家族に持つ側の
しんどさかもしれません。
偏見をもたれるかもしれないことが
怖かったのです。



なんか、登下校のしんどさは
その時代の生きるしんどさに
比例している気がする。

書いていて辛いな、、。


でも少しずつ、少しずつ、少しずつ
登校できるようになります。

カッパが1年から4年まで結夢と一緒の学校。
幹大はカッパが4年の時に入学してきました。
結夢が6年、カッパ4年、幹大は1年生
3人全員小学生の時までは大変でした。

登校班に姉弟がいたら大丈夫そうな
気もするのですが
ちょっとした事でケンカになり
かえって班の迷惑になる事もありました


後半へ続きます、、

😫😩😅😓😥😢😢😭😖😞😵😣😣😢😭😖😖

気楽に書いたつもりが、ちっともそんな
展開にはならなくなりました。

書いてみて
本当に大変だったんだという事
歩いて通わねば、やらねばと頑なだった事
辛いのだと相談する発想に至らなかった事

カッパと共に登校した事は
学校時代にともに歩んだ道そのままに見えます

ちょっと書いていて苦しくなってきました、

この話は結果オーライでいい方向には
行きますが今日は書いていて燃え尽きたので
休んで充電します。

おやすみなさい

あぁ、不完全燃焼な投稿


本当に申し訳ないです