カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

愛おしいもの

こんばんは✨😃🌃
昨日で記事数が60となり、今日はネタ切れです。
なので、、😫
2月4日(月)に書いた「愛おしいもの」から話を借りて、、「愛おしいと感動」をキーワードで何かかけるかな?と、思って書いてみます。
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そうすると、子供の誕生が第一にあげられてくるのかな?☺️

一応、カッパ君の名前が掲げられたブログなので、カッパの時の事を書きます。

おとうとおかあが33歳の時にカッパは誕生しました☺️🎁🎂

33歳なんて若いなーーー!戻りたーーーい
結夢が1歳11ヶ月の時です。

あんなに、幸せな時間はなかったなぁと思うほど、新たに産まれてくる家族の誕生を待ちわびていました。

上の二人は、自宅のような場所、家族的雰囲気のところで産みたい事、母乳で育てたかったので病院ではなく助産院で出産しました。

できる範囲で細々と、保健センターで仕事をしていました。母親教室で赤ちゃんの入浴の仕方とかを教える内容とかが楽しかったです。

カッパの出産は、楽勝でした☺️
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夜中に陣痛らしきものがきた!
どうも5分感覚だ!
とりあえず、産院に電話!
到着後、すぐに出産!でした、

助産師さんが、産まれてすぐ「おめでとうございます」と、胸元にカッパを抱いて対面の時に

「あっ、ダウン症の子なんだ」と思いました。
主人はダウン症とはわからないまでも、
顔つきが特徴があったので、
何か障がいとか病気があるのだろうと
思ったそうです。

私は「うわー、かわいい」とかいいながら、
外見的な特徴を
いろいろと確認してしまいました。

手の小指の第一間接が、少し内側に入りぎみな事や、首の太さや耳介、目つきや眉の具合など、その他もろもろ、、。
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「えっ!こんなに頑張って産んだのに、これから障がいのある子の子育てなんて頑張れないよ」

「障がいや病気があったら、この子が可哀想だから、何事もありませんように」と思ってしまいました。そういう自分が嫌でした。

沐浴してから産着を着せて、もう一度私のところへ来るまでの時間がかなり長く、、。今にして思えば長く感じただけなのかもしれませんが。

やっぱり
ダウン症の事が気にかかりました。

で、ようやっと産着を着たカッパが登場し
助産師さんに「うちの子、何ありましたか?障がいとか何か疑われるものって、特にないですよね?」
と、聞いたら

下手だなぁと思ったんですが、助産師さん曖昧な態度をとるのでした。

でも、こんな事聞いてくるお母さんいたら、助産師さん困っちゃうか、、😅

とりあえず、産んだ後だったので
「障がいがあるかもしれないけど、
まぁいいや、とりあえず寝るわ」と思い
助産院の病室に2人分の布団を敷いて
結夢、私、カッパ、おとうの順で一緒に寝ました。


その間、おとうは「カッパの様子」をずっと気にしていたそうですが、私は1時間半ぐらい本気で寝てしまいました。

その後、おとうと結夢は自宅に戻りました。
そして、カッパと二人になり
またいろいろと観察し
正直「あー、ダウン症だぁ」と思うのでした。

出産当日は特に何事もなくすぎました。

家に帰ってきたおとうはというと、
産院の先生から電話がかかってきて
「奥さん、小児科の看護師さんだったから、たぶんわかってると思うけど、お子さんダウン症の疑いが強いので、今から、小児科専門の病院に紹介状を書いて良いですか?」と聞かれたそうです。

おとうは、パソコンでダウン症と検索するのですが、
「染色体が21本」
「ダウン博士が命名
「合併症として心疾患を持つことが多い」
「昔は20歳ぐらいまでが寿命と言われていたが、医学の進歩により60歳ぐらいまでになった」
と概要ばかりが目につき、

「ダウン博士とかはもういいっつーーの!」
「もっと、元気に生きている姿を見られる
サイトはないのだろうか?」と思ったそうです。

沢山あったのに
目が入らなかったんでしょうかね。

でも、目に入らなかった事で、

「カッパは自分のペースでゆっくり
育つのだから別にそれで構わないのだ」と
思ったそうです。

そして、おとうはこれを機会に、
早々とダウン症とはなんぞやと書かれてある
ホームページや本を殆ど読まなくなります。

再び、おとうのところに助産師さんから電話がかかってきて、私にカッパの事を話すのは、産後1日目にしようということになるのでした。

そして、話をする日
私の病室に、院長先生と助産師さんと、おとうが入ってきました。

しかも、ヤマザキデイリーの袋に、ヤマザキのシュークリームを2つ持って参上しました。
「今から大事な話をしに来ましたよ!」という姿で、カッパがダウン症の疑いがある事はわかりました。

先生からその趣旨の話をされた時は
「あー、やっぱりそうだったんだなぁ」
と思いました

先生たちが去り、おとうと2人になりました。

私は、子どもに生まれながらの障がいがあると
いって、子どもはともかく親がその事について
ショックを受けても、何の得にもならない。
と思いました。
が、この場をどうしたらいいのか戸惑っていました。

その戸惑いがある事を、おとうにも話をしました。
おとうは泣く女が嫌いです。
私も、泣くもんか!という思いが
ありました。
今にしてみれば泣きたければ泣いて良かったんじゃないの?と思いますが。

そんななか、とても印象に残っている言葉が

「障がいや、病気があったとしても、どんなに大変でも、カッパは生きようとしている」と話してくれたことと

ダウン症は大体、1000分の1の確率で出生するのですが、

「1000人に1人の確率なんて、よくある話だよ」
この2つが凄く印象に残っています。

私は結婚する時に、絶対、この人がいい!
と思って結婚したわけではありませんでした。
彼のつかみどころがないまま、自然の成り行きで
なんとなく一緒になりました。

子どもに障がいがあるというのは、夫婦や家族の関係において、場合によってはピンチになる事があると思います。受け止め方にかなりの差があると、育てるのがかなり大変だと思うからです。

でも、私にとっては
おとうの言葉に本当に救われました。
「この人なら大丈夫、結婚してよかったんだ」
「カッパの事もきっと大丈夫」だと。

私も、カッパの手をとりながら
「そうだ、僕は赤ちゃんだけど、僕は強いさ」
と言った事。

胸がいっぱいになりながら、
まだ笑える余裕はなかったので
一生懸命、シュークリームを食べた事を
思い出します。
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このシュークリームは私への気遣いなのか、単純に自分が食べたかっただけなのか?わかりません。
聞かない方がいいかもと思って、聞いてません。

でも、おとうの言葉は
愛おしい子どもが産まれた時の感動したエピソードです。この言葉のおかげで産まれてきてくれてありがとうと思うことができました。

おとうには本当に感謝しています。
本人は覚えているのかな?