カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

オルゴールNo.4

振り返ってみると、おとうとは小学校卒業して以来、、中学と高校に私が急に呼び出していました。

バレンタインデーというイベントを利用して、、。

携帯もない時代なので、電話をかけたら誰が出るかわからないのですが、私達の場合はおとうのお母さんが出ていました。
この時は、お母さんが出てくると安心しました。
いきなり、本人だと緊張するので、。

こんな呼び出しや手紙が家に届く事が積み重なり、、会わずとも名前を覚えてくれるようになり、快く電話の引き継ぎもしてくれるようになりました。
後にでてきますが、彼のお母さんが重要な役目を果たしてくれます。

で、、!
19歳の時は、私は看護学校2年生でした。学年は40人の1クラス1学年でした。
私達の代は冬の時期
休み時間になると、3分の2くらい30人近くが、毛糸の手編みでマフラーやら手袋だセーターだと作り始めるのでした。

誰も、自分のなんか作りはしません。片思いではなく、すでに付き合っている彼氏につくるわけです。

私は、手編みが大の苦手です。
時間のかかるものがダメというか、、。手芸の一針一針時間のかかるパッチワークも苦手です‼️
一度だけデザインが気にいって、母の日にクロスステッチカーネーションのポーチを作りましたが、、。それっきりです。
ミシンは早く縫えるので好きですが、、。

そんなわけで、手編みができるって凄いないいな!と思いました。彼氏がいるって羨ましいと、、。

でも、友達に誘われ合コンに行っても、なんかピンとこないままでした。逆に疲れました。

あるときから、女同士で飲んで食べるほうが気を使わなくていいやと一切合コンにはいかなくなりました。

仲良しの友達の大多数は付き合っている人がいるので、週末はいないもの同士で遊ぶ日々ばかりでした。彼氏だとか、もう面倒くさい。いらないと思いました。

ある日、彼氏もいる友達と、未成年ですが飲みにいったとき、、

本当に好きな人はいないのか?誰かいるでしょう?
と聞いてきました。

好きではないけど、こういういい友達がいる。
当時のおとうの事を伝えました。

会ってはみたいけれども、いい加減、年数もたち会っても話すこともないしさ、、というと

だからそれが面白いんだから、会ってみた方がいいと勧めるのです。
そういうものなのか!と思い、、。

そして、また突然おとうに電話して、来週会えないか?と聞いて、会うことになるのでした。

振り替えれば私から、ふっかける事ばかりです。

19歳の再会は10月の雨が降る肌寒い日でした。

長いな、、。
書ききれるのかな?


続く