カッパ君がころんでも!

ダウン症を持つ男子中学生との生活と、母のつぶやき

オルゴールNo.6

こんばんは😃🌃今日は明日から雪が降るかもしれず、夕方からさらにぐんぐん寒くなってきました。
風邪などひかれませんように😌
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オルゴールNo.5から一週間近くたちました☺️

主人(おとう)とは、小学校卒業後に
中学、高校、19歳の時と1回ずつ会いました。

最後に会った19歳、おとうは、私に渡すはずの「オルゴール」を渡し忘れてしまいます。

その後、30歳で私の手元に「オルゴール」が
届きます。

また再会するわけですが

なんか恥ずかしいんですが、そのきっかけを
作ったのも、また私なわけです。

皆さんは、1985年に(Expo85)という
茨城県つくば市で行われた科学万博が行われた
のを覚えてる方いらっしゃいますか?

その企画で、開催期間中に友達や家族や自分宛に手紙を書いてタイムカプセルポストに投函します。

それが、2001年の1月1日の元旦、記念パッケージに入った16年前の手紙が相手に届くものです。

期間中に投函された手紙の総数は320万通に
昇ります。その間、転居等で不明状態になら
ないよう郵政省で管理を工夫し、
元旦当日309万通(90%ちょい)のハガキが
届けられました。これは脅威的な数字だそう
です。郵政省のネットワーク恐るべし!!

私が中学3年の夏に開催されていました。
私は万博には行きませんでしたが、
テレビでこの企画を知り5人に手紙を書きました。

行かなくてもたぶん書いた手紙を封書にいれて、
宛先に応募すれば、タイムカプセルポストに
入れてくれるというものだったと思います。

5人に書いた手紙は、同じ学校で中3の4人の
女友達と同じく中3の、、でも学校は違う所に
通っていた、おとうでした。

書いた内容は、多分5人共に、今こんな事に
夢中で、そして頑張っていて、でも中3だから
進路の事を考えながら、どう進もうか多少は
考えている事。

「この手紙が届いた時、みんなは何をしているか、
元気に頑張っているといいよね。これからも
ずっと友達だよ!じゃあまたねー!」

みたいな感じだったと思います。

おとうに書いた時の事はよく覚えています。
すでに、手紙のやり取りはしていたのですが、
頻繁ではなかったので
手紙で書いていても、照れくささがありました。

まして、女友達では「⚪️⚪️ちゃん❗️」と書け
ても、おとうには手紙でも苗字で君づけで書く事も、こっぱずかしくてできません。
なんて読んでたんでしょうね。
呼ばなくても、誰をさしているかわかる文章に
していたんだと思います。

でも、この手紙の最後は
「このハガキを読んでいる君が、元気で幸せで
ありますように」と書きました。
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アンジェラ・アキの「手紙」じゃないけれど、、。
「手紙」の曲は自分宛に書かれたものですがね。

何故、書きました。と断言するのかというと
2001年の元旦当日に、当時、1人暮らしを
していた私の家に、おとうに書いた16年前の
ハガキが届くわけです。戻ってきてしまい。
おとうの家には届きませんでした。

他の4人の女友達は、1人は届かず、おとうの
ハガキと一緒に戻ってしまいます。
でも、3人は実家にいたため届きました。

友達に書いたハガキには、私の実家の住所が
書いてありますが、29歳の1年は実家に居ました。

その後、1人暮らしをはじめますが、郵便局に
引っ越した届けを出したので、無事に届きました。

おとう宛は、もちろん実家に書かせていただき
ましたが、おとうは、5年前(25歳の時)に家を
でて1人暮らしをしていたため、転居先不明で
戻ってきました。
郵便局に転居先を通知し、新住所に届けてくれる
のは1年間だけです。

だから、私が1年早く家を出ていたら、お互い
転居先不明で、ハガキの行きばはなく宙に浮いた
ままになるのでした。

で、タイムカプセルポスト専用の消印が押して
ある年賀状をみて「幸せでありますように」と
書いてありました。
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19歳で会った後から会わずに、11年も経つ間、
私もいろんな経験をしました。
いろんな人と会うなかで、28ぐらいになると
漠然と結婚の事も考えるのですが、、
いい線までいって、失敗するため
上手くいかないのは
性格に癖のある自分が悪いのかもと思い、

誰も相手がいないなんて事はないだろうけど

どんなに、何かができても
もう恋愛ほどめんどくさく、
時には努力だけではどうにもならないこと。
どうしようもなく、難しいものだと思う事が
ありました。

28歳頃は、もう結婚はいいよ
しばらく誰も好きにならなくてもいい。
出会いとかめんどうだ。

一生独身で仕事と趣味で生きようと、思っていました。


それなのに、戻ってきたハガキを見ると
「どうしてんのかなぁ」と思うのでした。
こんな年になっても、まだ不完全燃焼というか、「未練が残っているんだな」
「あぁ、格好悪いや」
と思いました。


女友達とは、そのハガキがきっかけで、
届いてすぐに、再び電話やメールをやりとり
するようになります。
中学卒業以来なのに、話してみれば久しぶりな
感じはなく、近況など話ながらあっという間に
時間がたち、2月の下旬に会う約束をしました。

結婚してお子さんがいる。
今度、結婚する。
まだまだ独身。
それぞれでしたが、性格は変わらずでした。

そんなやりとりで、会う以前に既に友達同士
盛り上がっているうちに、
「おとうにあってみたければ会えばいい。
じゃあ、まず電話!」と単純に考えてしまい
ました。

でも、今のように携帯やメールアドレスがわかるわけではありません。
実家に電話するしかありません。
ちょっと考えると、本人がでるはずがないのを
分かっていながら、、。
電話がかかってきたら
逆の立場なら、かなり驚くのといい年して
どうした?と思いますが、、
とりあえず!

家族の方には失礼のないように話をする。
それだけを決めて、、電話しました。

おとうの、おかあさんが出ました。
名前をいうと、覚えていてくださり
高校や19歳の時に会った時と変わらない対応で、用件など忘れて近況を話してしまいました。

そして、今は1人暮らしをしていている事が
わかりました。
お義母さんからあっけなく、

「携帯の番号教えてあげるよ。電話あった事
伝えておくから」と言われたのですが

私の方から「本人から了解を受けている
わけではないので、、」と話し、私の1人
暮らし先の電話番号を伝えました。
そして、思わずお義母さんに
何故、自分が電話をかけてしまったのか
全部話をしてしまいました。

タイムカプセル郵便の事。
2001年1月1日に、おとうには届かず自分の
手元に戻ってきた事。
届いた友達と電話でやりとりしているうちに、
もし会えるならそのハガキを渡したい事。
でも結婚していたり、お付き合いしてる方が
いるなら、この電話はなかった事にしてほし
い事、、、、。
そして、おとうにも言わないでほしい事。
元気だったらそれだけで十分な事。
こんな事を話しました。

内容的に「ちょっと引いてしまうかも、、
引いてしまったら丁重に謝って電話を切る
しかない、、。」

と、思っていたら
「わかった、わかったそんなに気にしなくて
大丈夫よ。それに、あの子フリーだから」
というのでした。
電話がかかってこなくても、元気だった事が
わかり、これでいいやと満足しました。

それで、またお義母さんとは、少し話して
電話は終わりました。

そして、かかってくるはずがないと思っていた
3日後に、おとうから電話がかかってきました。

何を話したか覚えていませんが、
19歳の時のように、やっぱりなかなか会話は
続きませんでしたが
その割には、会うことだけはスムーズに
決まりました。

1月に電話がかかってきて、会ったのは2月の
今頃でバレンタインデーの時期でした、
会うときに、手紙だけ渡すよりは何か
プレゼントでもあった方がいいかと思いました。

「でも変に気を使わせてもなぁ」
「会って、楽しくご飯食べて、じゃあまた!」
といって別れたら、
じゃあまた!って言っても
また会う機会はないのだろうと思っていました。
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「そういえば、チョコレート渡した事も
あったなぁ」と思い出しながら。
待ち合わせ場所まで行きました。

30歳といえば、相手もいいオッサンです。
私だって、オバサンに片足突っ込んでます。
わかるかなぁと思っていたら
お互いにすぐにわかりました。
お互いに歳はとりましたが、雰囲気は変わって
いませんでした。

20歳の時はフェアレディZでしたが
今度は赤のアルトでした。あんまりにも車の
種類が違うと思ったので、何かあったの?と
きくと
車好きなのは変わらず、アルトだけの車の
ラリーかがあって、それに参加している事を
教えてくれました。

車の中で何を話したのか、
全然覚えていません。
近況は話した気がしますが、、。
箱根まで行ったような、、。
それにしても、どこか景色がいいところに
着けば「着いたよ~」と話をしてくれますが、
それ以外じゃ殆ど話をしないのは、相変わらず
でした。
でも、この人はきっとこれでも大丈夫な
人なんだろうと思い。私も途中で寝てしまったり、、😓失礼だったかもしれませんが、、。

いろいろとドライブし、
随分、夜も遅くなった頃、
おとうが「小学校に行ってみようよ」と
言いました。
卒業した小学校の中には入れないので、
周りしか見られませんが、
昇降口の前の木を見ながら「大きくなったねぇ」
とか
奥の方にモザイクタイルで校章の形を作った
卒業制作が飾られているところが見えると、
「どこに貼ったの~俺はここだったよ」

グランドをみながら、運動会では「お互いに
リレーの選手だったね、アンカーは校庭を一周
したんだよねぇ」など懐かしく眺めていました。

学校を見てから、1人暮らし先のアパートまで
送ってもらいました。
19歳の時と同じように、もうすぐでお別れという頃になって話が盛り上がり、、かえって名残
惜しくなります。でもこれで終わりです。

アパートについてから
お礼をいって、16年前の年賀状を渡しました。
あぁ、これで終わっちゃった。
と、思ったら
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「はい、これバレンタインデーの時のお返し、
あの時は、ありがとう」と言われ

包みに入った小さな箱をもらいました。
「!!」
ビックリして、次にこれはこの場で開けた方が
いいような気がする!と思い
「開けていい?」と聞いて包みを開くと
小さな箱にオルゴールが入っていました。
「どうしたの!?」と聞くと
「高校2年の修学旅行で神戸に行った時に買った」
との事でした。
手巻きなので、まわしてみると「マイウェイ」の曲が流れました。
これで落ちないなんてありえません!
余計に名残惜しくなります。

でも、もうひきづらない。

これが最後だなんてさびしいと思いながら、
半泣きになりそうになりながら、精一杯笑って
握手をしました。
今度は私からは、またねとは言わずに別れました。

が!この事で
おとうは、「こんなに長いこと自分の事を
忘れないでいてくれた」といい方にとってくれ
これ以降は、おとうから連絡がくるように
なりました。
30歳でとる行動ではないと思いますが、
結果オーライなので良かったです。

私だったら、包みも開けずに13年もそのままにしておかないです。とっくに開けて、小物として
飾っているでしょう。
何故、おとうはオルゴールをとっておいたのか?
聞いてみたいけど、良くも悪くもドキドキして
聞けません。

この手巻きのオルゴールは、カッパが幼いときに
高速でまわして壊してしまいました。そして、
投げつけて蓋まで壊れてしまいました!
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2001年1月1日に届いた年賀状は家の
2階押し入れの上の天袋(かなり奥の方に)に
入ってます!
こういうブログを書くのなら、すぐ出せる
ところにしまっておけば良かったです!

本当に長い文を読んでいただきありがとう
ございました。
どんなに仲が良い友達でも、
絶対に言えない事を
何故、ブログに書けたのかはわかりません。

もう馴れ初め全て書いてしまいました。
誰にも聞かれてないのに、なんだかな。

後は、最後になってしまいましたが、
おとうのお義母さんには、本当に感謝しています。
あの時に快く話を聞いてくれ、
私の連絡先をお伝えしてくださったからこそ、
再会でき、今があります。
書いてみて「これからもっと大事にしよう」!?
と思いました😂

もうマイウェイは鳴りませんが
このオルゴールは、たったひとつの宝物です。
他のものはいりません。
真心のこもったこれだけでいいです。
一生大切にしようと思います。


終わりでーす。書けたー!やった!!